「スペイン巡礼と四国遍路」
ユーラシアの東西両端に、異なる宗教的背景の下で、同じような道が存在することは、不思議なことだ。両方を歩いた経験を基に、二つを私なりに比較してみた。一度だけの限定された観察であり、勉強不足による独断と偏見も多い筈だが、予め大方の御寛恕を乞う。
予め内容を、概括した表で示せば;
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スペイン巡礼 |
四国遍路 |
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基本コンセプト |
線=道 |
点=箇所 |
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全体イメージ |
向上する直線 (段階的発展) |
循環する円環 (輪廻転生・平等) |
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主導的要因 |
カソリック教 (公権) |
真言密教 (民衆) |
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聖人 |
使徒・大ヤコブ |
弘法大師・空海 |
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場所 |
ガリシア(辺境) |
四国(辺境) |
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背景(山+) |
広野 |
海 |
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印象的風物 |
橋 |
トンネル |
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支える文化 |
バル |
コンビニ |
以後、「巡礼」でスペインの巡礼を、「遍路」で四国遍路を表す。
(1−線と点)スペイン巡礼El Camino de SantiagoのCaminoとは「道」「行程」=「線」であるに対して、四国遍路は「四国八十八箇所」であり「箇所」=「点」の集合体である。これは呼称の違いだけでなく、基本的なコンセプトの差といえる。
巡礼では道全体が聖別され、最終地点Santiago de Compostelaは目的地として聖地だが、それ以外途中にある地点は、大都市であろうが、有名な教会であろうが、点としては特別な意味を付されて選別されていない。道の全体を歩いて目的地に到達すること、即ちその苦労を通して得るものが意味を持っている。従って、自分の足で歩く(自転車・騎馬は許される)ことが巡礼として認められ、巡礼終了証書が授与される。全行程を自動車で行くのは観光でしかない。
遍路では、選別・指定された88の札所(点)を訪ねて、その境内で宗教的行為を捧げることが重要であり、そこにどうやって到達したかは本質的な問題ではない。自分の足で歩くか、他の交通手段を使うかは、本来問題とされず、それらの点を通過したことが重視される。つまりスタンプ・ラリーである。遍路道というのは、歴史上慣習的に特定されたルートであるが、それ以上でも以下でもない。
(2―直線と円環)巡礼路は、目的地まで天空の銀河の下を行く直線

としてイメージされ、神の天国に達するルートである。その道程を辿る間に巡礼者は宗教的な向上を遂げる。そこには、低い出発点から徐々に階段を上り最高点に達するような、段階的発展の概念がある。目指すのは唯一の目標であり、キリスト教の一神教としての特徴が体現している。スペインの自動車道路は山の裾を迂回しているのに比べて、巡礼路は、野や山を出来る限り直線的に横切って行く。
一方、遍路ルートは本質的に循環する円であり、一応番号を付してあるとはいえ、どの寺から始めてもよく、88箇所は平等である。例え弘法大師の誕生地であろうと、修行した場所であろうと、特別な格付けはされていない。仏教の特徴である輪廻転生や曼荼羅に表される循環と円弧の概念が支配的である。日本の自動車道がトンネルや高架橋で直線的に貫いてゆくのに対して、遍路道は、山の裾を左右に廻る円弧を繰り返して上下する。(27番・神峰寺(こうのみねじ)への道が「真っ縦の急坂」と特筆されているのは、例外的ケースだからであろう。)
(3−公権と民衆)巡礼のルートが形成された背景には、欧州の僻地であったスペイン国土をイスラム教勢力から奪回しようとする、9世紀のシャルルマーニュ帝に始まったレコンキスタ運動があり、それを支援するために、当時キリスト教勢力が僅かに残っていた北スペインへ信者や騎士を糾合することから始まったらしい。従って、最初から、最高権力であるカソリック教会とスペイン王家や封建諸侯が巡礼ルートの保護・支援に関わっている。その主導の下に民衆のエネルギーである巡礼が各地から動員された。
一方、遍路の起源は、弘法大師に対する尊敬・思慕の気持ちから、奇跡や救済を求めてその足跡を辿るという民衆の盛り上がりに発する。大師は真言宗を興して朝廷の保護・支援を受けるが、四国の遍路道に朝廷の庇護は及ばなかった。(ルートにある4つの国分寺は公権によって建設されたが、札所の中での特別な格付けはない。)しかも、遍路道は真言宗本山からの統一的な主導によるものでもない(88箇所の寺には、他の宗派のものも含まれる)。武家の統一政権や四国の封建諸侯も遍路道全体に対して特別な保護策を執っていない(菩提寺などへの寄進は別)。大師信仰に山岳信仰や補陀落信仰などが合流して、遍路はあくまで民衆の信仰エネルギーによって起こった。
(4−聖ヤコブと弘法大師)キリスト教の神や仏教の大日如来は最高の崇拝対象であるが、それは近づき難い絶対崇高な存在である。一方で大衆は、理念的・宗教的信仰とは別に、それぞれ俗世的な願望を祈る対象を欲して来た。そんな祈りを絶対者に仲介する人的存在として、スペインでは聖ヤコブが、四国では弘法大師が選ばれている。巡礼の最終地点が聖ヤコブの遺骸を埋葬したコンポステラの大聖堂であるが、それ以外にも聖ヤコブの奇跡の伝説は巡礼ルートの各所に残っている。弘法大師の場合も民衆救済の奇跡や土木事業の伝説が遍路ルート全体に多数ある。これらの伝説やそのよすがである遺物は、巡礼路や遍路道に沿って随所に散在して、巡礼や遍路の信仰を側面援護しているのは、スペインでも日本でも同じである。
更に少し上の崇拝対象として、巡礼路ではマリアが、遍路道では地蔵菩薩が大衆の祈りを受け止めている。
(5−地理的背景)巡礼路はスペイン北部を通って後進地帯Galiciaに向かう。遍路道は日本史を通して支配勢力とは遠い位置にあった四国に設定された。共に辺境を舞台としているのは興味深い。そして共に山岳がライトモチーフであるのは、原初的な山岳信仰が底流にあるからだろう。巡礼路では途中で海を見ることが出来ず、代わりに地平線まで続く平野(スペイン中央部ではメセータと呼ばれる)が支配的光景である。基本的に大陸国であるスペインらしい。
一方、四国では太平洋と瀬戸内海の海の光景が遍路道を印象深くしている。元来は、補陀落信仰の渡海僧が辿った海岸を行く「辺土の路」だったのが、遍路と呼ばれるようになったという説も頷ける。
(6−橋とトンネル)巡礼路ではいくつかの名物橋がある。欧州の北と南からの巡礼路が合流する地点に優美に架かる王妃の橋、ローマ時代に架けられた石橋、大河エブロの長い橋、騎士が決闘を挑み千本の槍を集めたという弁慶に似た逸話の残るオルビーゴ橋、など。
対して、遍路道でも吉野川の潜水橋、仁淀川の大橋、四万十大橋などがあるが、巡礼路になくて遍路道に特徴的なものは長いトンネルである。(14.遍路道のトンネルを参照。)
(7−バル文化とコンビニ文化)スペインではどんな田舎でも古い街道に面してバルがあり、早朝から晩遅くまで営業している。元来は村人の飲食の場であり、娯楽や情報交換の場だが、巡礼にも安価で簡便な朝昼晩の食事を提供してくれる。歩いている途中の渇を癒す場所でもあり、トイレの用を便じる場所でもある。巡礼宿は自炊以外に食事の提供はしないので、バルなくしては巡礼は成立しない。
遍路にとってこれに順ずる役割を果たすのが、コンビニであろう。遍路宿は夕食と朝食提供が通例で、昼の弁当も仕度してくれるので、食事面でのコンビニの役割は従である。精々昼食と間食、飲料の供給である。しかし、必ず清潔なトイレを完備しており遍路にとっては有難い。四国の田舎では、伝統的な店舗は閉鎖に追い込まれており、遍路が救急医薬品や日常雑貨、郵便ポストやコピー機などを求めるにはコンビに頼るしかない。
(8−巡礼宿と遍路宿)巡礼路沿線には、少し大きな集落ならば村や町や教会組織が運営する巡礼宿や私営の巡礼宿(共にalbergue又はrefugioと呼ばれる)がある。公営のものは予約は取らず、歩き巡礼と自転車遍路のみ巡礼身分証を持ったものを、到着順に受付ける。溢れた者は次まで歩かねばならない。原則午後2時からしか開かないので、それまでは門口で待たされる。朝は8時までに出立で、一泊しかさせない。毎日通過する巡礼の数は多いので、小さな巡礼宿でも20人、大きなものは300人の収容が出来る。世話はヴォランテイアが行い、洗濯をした枕とシーツと毛布を備えた二段ベッドの列が並び、男女同室。シャワーとトイレは男女別。自炊は可能。下着の洗濯は各自洗い場で。電気洗濯機や乾燥機は有料。公営の宿泊費は寄付(通常2−5ユーロ)、私営は6−10ユーロ。
これに対して四国でも善根宿という巡礼宿に似た施設があるようだが、数は少なく、私は宿泊した経験がないので何とも言えない。普通の歩き遍路は民宿や旅館、ホテルに泊まるが、設備は快適でサービスも良い一方では、二食付きで6−8千円はかかり、スペインに比べて一日当たりの経費は高くなる(11.歩き遍路の宿を参照)。
(9−道しるべ)巡礼路は古来確立された、分かりやすい道だが、それでも発展した市街地や畑中の分岐点など分かり難い箇所もある。そんな場所では必ず、古くからの石の道標や最近の鉄板に琺瑯びきの標識が立っていたり、建物の壁に黄色い矢印が描いてあったり、道路上に帆立貝のシンボルが埋め込まれていて、巡礼を導いてくれる。その数やデザインは州によって異なる。しかし全ルートに亘って一定間隔で民家の壁や塀には黄色いペンキの矢印があり、それに従って進めば全く迷う心配はない。私も詳細な巡礼路の地図を持参したが見る必要すらなかった。
これに比べて、交差する道路が多くずっと複雑な遍路道の場合は、道標が充分とは言えない。「へんろみち保存協会」を始め、複数のNPOが道標の整備に注力しているが、その数も充分でなく、設置されている位置も適切でない処があるので、標識のみを頼りに迷わず進むのは無理であろう。その上、四国の住人は自動車利用がほとんどで、道を尋ねられる人影は街にも農地にも極めて少ない。又「へんろみち保存協力会」編纂の地図は歩き遍路には必需品だが、方角図示が一定せず見ずらいこと、迷い易い曲がり角での目印記述がないなど、改善を要する(スペインのものには詳細な説明あり)。
複数の標識が重複している箇所があるかと思えば、全く道標がない箇所などがある。NPO同士が縄張り意識や対抗意識を捨てて、分担地域を決めてその限りで道標システムの完璧を図って頂きたい。
特に市街地や集落の中を抜ける場合、標識が途絶えることが多い。条例の規制や、設置の場所に地権者や住民の協力が得られないことが問題の根底にあるようだが、全四国規模の運動を興して理解と協力を得ることは出来ないものか。スペインのように民家の壁や塀に道標の矢印を描けるのが理想的だ(美観を損なわないことが前提だが)。又広域企業の協力も不可欠だろう。その為には世界遺産登録へのモメンタムが盛り上がっている現時点がベストチャンスだろう。
(10−コマーシャリズム)四国八十八箇所の寺の商業主義と既得利権への安住姿勢とが批判される。カソリック教会組織に比べて財政的な基盤の弱い日本仏教界の体質に根ざす問題であり、特に有力な檀家の支援がない八十八箇所の札所寺は納経料や宿坊の運営利益に頼らざるをえないという実情がある。スペインでもBurgosやLeonの大教会の観光主義は否定できない。要は、納経収入に胡坐をかくことなく、宗教拠点としての自覚に立って、様々な目的で寺を訪問する人達への教化努力をすることである。

